飽くなき食への渇望
人類、特に日本人という種族は「食」に対して尋常ではない情熱を持っている。
それにより日本人は旨味という成分を作り出したのだろう。
世界から見ても頭おかしいと言われる、納豆やゴボウを食すように我々日本人は「そんなん誰も食べへんやろう」といわれるものを平気で食材として取り扱う。
そう、「そんなもん誰も食べへんやろう」と呼ばれるものを平気で取り扱う。
日本の様々な食品メーカーは、日々互いに切磋琢磨をしあの手この手で新たな食品やフレーバーを生み出している。
その中でどのコーヒーメーカーに対しても名前から常に自分の方が強いとマウントし続けるこのマウントレーニア。
普段なら私もお値段も量も味も大変満足。マウントされても、まぁそりゃその通りと納得のできる相手である。
だが、この商品。コーヒー&ライム。
日本人の悪い癖が出た。「こんなの初めてぇ〜〜んほぉ〜〜!!」と言わせたいが為の掛け合わせ。
見た目と言葉だけのこのインパクトのみで売り出した商品。
だが私もここは日本人。不味そうでも私は飲む。買うしか道はないのだ。
何より私の中の小学生が既に会計を済ませたのだ。飲むしかない。
感想は言わなくても分かるだろう。
馬鹿にしているのか。ただえさえコーヒーにはやや酸味がある。ライムの酸味とコーヒーの苦味とマウントレーニア特有の甘さ。
それらが全て喧嘩をする。
お口の中でトライアングラー、歪んだ三角関係。
あいつが俺を好きで俺は奴が好きで奴はあいつが好き????は????牡丹と薔薇もビックリ。この雌豚が!と叫んでやりたい。
この手の商品で成功したことなんてないんだ。
俺はいつもそうだ。
誰も俺を愛さない。
だが、そんな事に曲がるような日本人ではない。
そう、商品として失敗であってもチャレンジすることは大切でありこの様な飽くなき探究心が日本人の「食」の質を向上させているのである。
私も、またこの探究心には抗えないのだ。
悲しき獣は今日も吠える
吾輩はオタクである。
名はデスラブ。
推しへの愛が深い、悲しき獣。
私はかなり拗らせているオタクである。
そのキャラクターを深く考えすぎて、キャラクターを咀嚼し、味わい、だんだん神格化させていく。
そう、吾輩は厄介オタクである。
ある、あんさんぶるスターズという高等部アイドル科所属の生徒たちを育て、立派なアイドルへ成長させるゲームがある。ゲーム性はない。
簡単に言えば、リズムゲーのないデレステ。
もっとわかりやすく言えばキャラだけのクソゲー。
そんなクソゲーに、私はあろうことか推しが出来てしまった。
守沢千秋。
流星隊リーダー、流星レッド。
彼にどハマりしている。
彼にハマってるけど、ゲームはクソゲーなのでやってない。他のキャラクターの名前も把握してない。
ある日、ジャニオタの友人と話をしたことがある。
「私はジャニオタだから、きっとジャニオタ以外に理解されないのだ」
と、悲しい瞳をしていた。
私は彼女に対して、厄介オタクである自分の姿を重ねた。ああ、そんな彼女を救いたい。
だって彼女は、推しに対する私の同じ瞳をしているのだから-------!!!!!!
彼を本物のアイドルとして妄想する。
私は本物のアイドルである千秋のライブへ行く。
そうなるとどうだ?生の彼に会うのだ。
彼の好きな系統の服装は何だ?彼の出ている雑誌を読む。出ているテレビを見る。
美容院にも行かなければ。ああ、エステも。
だって生の彼はきっととてつもない美貌を持っている。彼に気に入られたいのではない。彼を応援する私がみすぼらしくては彼に対して失礼である。少しでも彼の視界の端に映った時に彼が不快にならないようにしなければ。
前日インして早く寝て、そして応援グッズも。
彼が悲しまないように、マナーは守って、ああ、事務所に入るとしてももしかしたら彼の臨時収入になるかもしれない。グッズも買います。
彼の生の息が、酸素交換された酸素と二酸化炭素が、彼の肺に入ったその物質が、汗が、私の中にも入るかもしれない。ああ、生きていて良かった。
彼は本当に生きているんだ。私は神と出会ったのだ。
ここまで話して彼女が一言。
「その気持ちまるまる私と同じ!!でもお前の千秋は現実にはいないんだよなぁ!!!怖いなぁ!!!」
今日も私は理解されることはない、悲しい獣のままなのだ。
どうして飯マズは学習をしないのか
推しが死ぬことで身内では有名な私だが、さらに有名なことがある。
飯マズ。
正確に言えば飯マズではなく、創作飯に意欲的すぎるという事。
ちゃんと作ろうと思えば作れる。でも、量を測ることをやめたり、物がないならば他のもので代用しようとしたり、一手間加えたりするので不味くなるのだ。
↑ちゃんと作った味噌ナス。まぁ普通に美味しそうじゃない?違う?まぁご飯であることはわかるでしょう。
なぜ人間は学ばないのか。
いや、私は好奇心が強いのだ。
それが悪い方に強いのである。
心が小学生から成長していないので、危機管理能力が著しく低いともいえる。
「これをやったらヤバそう」という考えが至る前に「面白そう!やろう!!」になる。
そして出来上がった産廃たち。写真は撮ってないが山に葬り去ったものたち。
今回もそうだ。
今回は痩せてる可愛い女が「豆腐にきな粉と黒蜜で美味しいスイーツ♡」などと言っていたのを見た。
ここで私の中の小学生が私に囁いた「ねぇ、これ他の素材でも出来るんじゃない?面白そう」
もうここまできたら後戻りはできない。実家を捜索して1人用の絹豆腐とカフェオレの粉があった。
いや見るからにやばい。わかる。
みてくれ。この粉々しさ。明らかにやばい。だが私の中の小学生はこう囁いた「女は度胸。意外とイケるかも」もう止まらないのである。
結論から言えば美味しいわけがないし、なんかカフェオレと言っても甘さ控えめ(甘すぎるのが苦手)であるが故に粉々しくさらに苦い、滑らかな豆腐にジョリジョリとした最低の食感のハーモニー。
そしてやっと目覚める冷静な私「何やってんだよどう考えてもまずいよ」遅い。圧倒的に遅い。
私は仕事でも私生活でも、知らないことを知る、その喜びを常に持っている。そして、好奇心がなくなったら終わりだとは思っている。
だが本当にここで出す必要はあったのか?いや、ない。こんな所で命を無駄にする必要はなかった。
こうしてまた産業廃棄物をこの世に生み出し、反省しない小学生の私は「まぁ、ネタになったのでオーライ」などと笑い、飯マズは続いていくのだ。
ちなみにあの産廃はちゃんとした用途に使用して美味しくいただきました。
英雄になりたい!
私の座右の銘は
「推しには惜しみのない愛(課金)を」
であるのだが、その理由となる大きな出来事があった。
前回も言ったように私は推しがすぐに死ぬ。だが、他のオタクにも愛されていた推しは死してなおオタク達の心の中で生き続ける。
それは二次創作であったり、グッズであったり。
しかし、アプリゲームは少し違う。
サービス終了。
この言葉はどんなオタクにも突き刺さる、恐怖の言葉だろう。
どれほど愛したゲームでも、キャラでも、アプリゲームは基本的にアプリが終了すれば全ての企画が終了、事実上の死亡となる。
さて、タイトルとサービス終了で察した人もいるだろう。
昔、10年ほど前にモバゲーで開始された「英雄になりたい!」というゲーム。簡単に言えば三国に分かれてそれぞれユーザーが好きな国に所属して互いに領土を奪い合うというもの。
当時学生だった私は友人とアザルト連邦へ所属し一端の戦士として戦っていた。
その時に推していたのはリリアーヌ様とラインハルト将軍だった。
ユーザー同士の争いともあり、ゲームは白熱。ドラマCDや他シリーズもサービス開始するなど当時のアプリゲームでは考えられない盛り上がりを見せていた。
だが、どんなゲームにも終わりがあるもの。
今回はユーザー同士が限りある領土を奪い合うというものであり、所属国のユーザー数に大きく左右された。
結果はお分かりだろう。
ある一国がプレデターのように他の国の領土を食い荒らし、飲み込んでいった。
結果、我らがリリアーヌ様は行方不明扱い、ラインハルト将軍はリリアーヌ様を探して放浪の末記憶を無くして戦場へ(英雄になりたい他シリーズへこれもすぐサービス終了した)とまぁ散々な結果となった。
私は当時学生だったため、課金という考えはなかった。だが、今ならわかる。
何故英雄になりたい!が8ヶ月という短さでサービス終了したのか?
ゲーム性のせい?ユーザー数のせい?
いや、課金する必要がなかったからだ。
金のせいだ。
絶対課金しなくてもいいシステムだったから全員課金していなかった。全ては金なのである。
これは課金ではない。お布施なのである。
今日も私たちに厳しい現実と向き合うだけの甘い幻想を与えてくれる大切な存在へ感謝と祈りを込めて課金しよう。
推しには、惜しみのない愛を。
僕と推し
6月でニートとなり、暇を持て余していたところ何かをせねばならぬと思いつつ怠惰に過ごしていた。
そんな時ふと、友人から「このブログが面白い」とブログという単語を聞いてそういえばそんな文化もあったなと、そんな遠い記憶を思い出し。暇なんだからいっちょ書いてやりますか!なんて安易な考えて始めたこのブログ。
私のことを知っている人にはタイトルを聞いて即座に納得できると思うが、知らない人にとっては完全に「あたおか」状態なのでまず最初に私のことから書いていこうと思う。所謂オタク特有の隙あらば自分語りというものだ。
まず、私はオタクである。さらに完全雑食である。
GLBLNLエログロ男性向け女性向け全部嗜む節操なしである。ちなみに同担歓迎派。
そしてもう一つ特徴がある。
推しがよく死ぬ。8割くらいの確率で死ぬ。
運良く生き延びたとしても、闇落ちする。闇落ちしなくても二度とストーリーに絡むことがなくなったりする。死なないなんて豪語していたキャラクターでさえ私が推せば死ぬ。
悲しいけど、これが現実なのよね。
だが、これは他の人にも当てはまることではないかと思うが、何故か推しがよく死ぬ人は本当に驚くほど良く推しが死ぬ。だから耐性もできてしまう。悲しいけど。悲しいけど推した段階である程度死ぬかもしれないことを覚悟する。慣れとはこういうものなのである。
そんな悲しい宿命を背負った悲劇のオタクが同じ運命を背負う同士と共に運命に立ち向かったり、立ち向かわなかったりする。そんなブログにしようとほんの少し思って書き始めたブログである(多分その設定は次回から消えます)