どうして飯マズは学習をしないのか
推しが死ぬことで身内では有名な私だが、さらに有名なことがある。
飯マズ。
正確に言えば飯マズではなく、創作飯に意欲的すぎるという事。
ちゃんと作ろうと思えば作れる。でも、量を測ることをやめたり、物がないならば他のもので代用しようとしたり、一手間加えたりするので不味くなるのだ。
↑ちゃんと作った味噌ナス。まぁ普通に美味しそうじゃない?違う?まぁご飯であることはわかるでしょう。
なぜ人間は学ばないのか。
いや、私は好奇心が強いのだ。
それが悪い方に強いのである。
心が小学生から成長していないので、危機管理能力が著しく低いともいえる。
「これをやったらヤバそう」という考えが至る前に「面白そう!やろう!!」になる。
そして出来上がった産廃たち。写真は撮ってないが山に葬り去ったものたち。
今回もそうだ。
今回は痩せてる可愛い女が「豆腐にきな粉と黒蜜で美味しいスイーツ♡」などと言っていたのを見た。
ここで私の中の小学生が私に囁いた「ねぇ、これ他の素材でも出来るんじゃない?面白そう」
もうここまできたら後戻りはできない。実家を捜索して1人用の絹豆腐とカフェオレの粉があった。
いや見るからにやばい。わかる。
みてくれ。この粉々しさ。明らかにやばい。だが私の中の小学生はこう囁いた「女は度胸。意外とイケるかも」もう止まらないのである。
結論から言えば美味しいわけがないし、なんかカフェオレと言っても甘さ控えめ(甘すぎるのが苦手)であるが故に粉々しくさらに苦い、滑らかな豆腐にジョリジョリとした最低の食感のハーモニー。
そしてやっと目覚める冷静な私「何やってんだよどう考えてもまずいよ」遅い。圧倒的に遅い。
私は仕事でも私生活でも、知らないことを知る、その喜びを常に持っている。そして、好奇心がなくなったら終わりだとは思っている。
だが本当にここで出す必要はあったのか?いや、ない。こんな所で命を無駄にする必要はなかった。
こうしてまた産業廃棄物をこの世に生み出し、反省しない小学生の私は「まぁ、ネタになったのでオーライ」などと笑い、飯マズは続いていくのだ。
ちなみにあの産廃はちゃんとした用途に使用して美味しくいただきました。